2004年9月4〜5日 |
世界選手権第10戦
スイス(モティエ) |
丸1ヶ月間のインターバルを置いていよいよ世界選手権も最終戦。
チューリッヒから1時間ほど、山間の静かな街に設けられた15セクションは、フランス人、ブルーノ・カモッジによる難セクションぞろい。下見を終えた藤波は、イージーなセクションで神経戦を演じるより、難セクションで思いきり戦えることを喜びつつ、ここまでの戦いの集大成の日を迎えた。
【土曜日】
セクションは、第1から第3までが人工的に配置された岩のセクション。4からあとは牧場の中の森の中だが、切り立った崖を登り降りする設定の多いものだった。最終15セクションはインドアのスケートリンクに設けられた人口セクションで、スタート&ゴールもここ。
会場にはHRC関係者を始め、近隣諸国から藤波のタイトル獲得の瞬間を見届けようとする日本の人が訪れ、いつもの世界選手権とはやはり少し雰囲気はちがっていた。
藤波チームも、直子夫人は出産を控えて日本で待機、変わって長年苦労をともにした父母が駆けつけている。
スタート順は、藤波が一番遅いくじを引いた。第1セクションをクリーンした藤波は、いつになく、からだが動いていて、調子がいい印象を受けていた。いつもは、クリーンをしていても、からだの動きになんとなくぎこちなさがあるのが、藤波の滑り出しの常なのだ。
第2セクションでは出口で1点。ここまでは、まずまずの滑り出しだった。しかし第3セクションで、タイムオーバーの5点。メカニックの時間のコールがなかったことによるセクションでの時間配分のミスだが、これで藤波の調子はやや乱れたかのようだった。
しかし、ここで勝利のモチュベーションを失わないのが今年の藤波の真骨頂だ。難セクションの第4を3点で抜け、第5をクリーン、第6を2点で抜けて、再び調子を上げようとしたところで、第7、第8と続けて5点を喫した。第9はあまりの難セクションにほぼ全員がエスケープして5点で事実上ノーカウント。
11セクションから14セクションまでのグループは本部からほど近いところにあって、お客さんも多かった。日本の人も多く、藤波はここでまた、調子を取り戻したかの走りを見せる。応援を背に受け、高いコンセントレーションを見せる走りは、もてぎの再現といってもいい。
しかし、この日の藤波は、その高い次元の走りが持続しない。2ラップめの第3セクションでは再び5点となり、続く第4でも5点。土曜日にチャンピオンを決めるという目標を念頭においていたわけではないが、この時点で、土曜日のうちのタイトル獲得劇は見送られる公算が高くなった。
藤波のタイトル獲得を阻止すべくライバル、ドギー・ランプキンは、この最終戦に、今シーズンいまだかつてない成熟した走りを見せていた。1ラップが終わったところで、藤波とドギーの点差はわずか5点ではあったが、ドギーのコンセントレーションは藤波のそれを上回っていたといっていい。藤波にすれば、あといくらかのポイントを加算すればタイトルを獲得できるのに対して、ドギーはラガとの2位争いが緊迫していた。
調子が上向いたり下がったり、自信のモチュベーションを保つのに苦労しながら、しかしそれでも藤波は3位に入った。3位に入れる走りではなかった、とは藤波の弁だが、それでも表彰台を逃さないところは、今シーズンの藤波の戦いぶりを象徴しているものかもしれない。
優勝は今シーズン3勝目のドギー。藤波はドギーに11点差での3位だった。2位のラガとは9点差。この結果、シリーズランキングではドギーに対するリードが19点。チャンピオンを獲得するには、わずか1点足りない。藤波にとって、日本人にとって、待望の瞬間は、日曜日に持ち越されることになった。
【日曜日】
むずかしすぎる、セクションが長くて、持ち時間内に抜けられないという指摘を受けて、15のセクションのうち10個ものセクションがモディファイを受けた。あるセクションは短くなり、あるセクションは簡単になった。しかし今度は、トップライダーにとってはやや簡単すぎる設定となったようだ。
藤波がチャンピオンを獲得するには、あと1点、15位に入ればそれでいい。事実上、リタイヤさえしなければその条件は満たされる。藤波が世界選手権に挑戦して今日まで、無得点はほとんどない。今のような体制で望むようになってからは皆無だ。藤波のタイトル獲得は、スタートする前から決まっていたようなものだ。あとは、有終の美を飾るべく、勝利へと突き進むのが藤波の仕事だった。
ところが、第3セクションで前日に引き続き、三たび5点となった。アクセルを開け過ぎ、タイヤ1本分の滑りが致命傷となった。この日の藤波の不運は、この1回の5点が、1日を左右するほど、セクション全体が簡単に設定しなおされていたことだ。試合を進めていくうち、あまりのセクションの簡単さに、取り返すポイントのないことを思い知らされていった。
それでも、1ラップが終わったときには、トップのドギーに3点差の2位。今シーズンの藤波の勢いなら、充分勝機はあった。
2ラップめ。ドギー・ランプキンが、チャンピオンとしての最後を、完璧に近い走りで飾ってみせた。このラップ、ドギーが足をついたのは、大岩を登る12セクション、ただ1カ所のみ。それ以外は、すべてクリーンで走りきった。
セクションの難易度からすれば、オールクリーンはけっして不可能ではなかった。藤波も、下見中には、すべてのセクションをクリーンしなければいけないと思っていた。しかし、それを実現するのはまた別の話である。シーズンの最後にきて、ドギーは実にすばらしい試合をした。それはチャンピオンシップを譲り渡すにあたっての、藤波への置き土産にも思えたものだった。
最終戦、藤波貴久の結果は、2位。ラガとは1点差、ドギーとは10点差だった。しかして、ゴールしたその瞬間、藤波のチャンピオンは決定した。表彰台でチャンピオンTシャツを渡され、報道陣にもみくちゃにされ、パドックへ引き上げた藤波は、こみ上げる喜びを「長かった」と一言に託した。
世界選手権挑戦をはじめて9年目、ランキング2位となって5年目。新しい歴史が、つくられた。
○藤波貴久のコメント
長かった。長かったけど、ついにやりました。
昨日も今日も、チャンピオンをとるということはまったく考えていなくて、優勝を狙って走ったのですが、勝てませんでした。チャンピオンに王手をかけながら、それでも勝利を狙うというむずかしさもあったのかもしれませんが、試合中にも、そんなことは感じていなかったのですが、それでもやはり、なにかがちがったような気もします。その点、こういう経験を7回も経験しているドギーの強さは、あらためてすごいなと思います。
これで、まず1回。
1回では終わらせたくないし、まぐれだと思われたくもないし、来年は、また新しいチャレンジで、チャンピオンを目指します。
みなさん、ほんとうにありがとうございました。
このチャンピオンは、みなさんとともに獲得した栄冠だと思っています。
World Championship
2004 |
土曜日/Saturday |
1位 |
ドギー・ランプキン |
48(27…21) 12 |
2位 |
アダム・ラガ |
50(30…20) 15 |
3位 |
藤波貴久 |
59(32…27) 12 |
4位 |
アントニオ・ボウ |
70(36…34) 8 |
5位 |
アルベルト・カベスタニー |
73(31…40) 10 |
6位 |
黒山健一マルク・フイシャ |
74(41…33) 6 |
日曜日/Sunday |
1位 |
ドギー・ランプキン |
9(8…1) 25 |
2位 |
藤波貴久 |
19(11…8) 21 |
3位 |
アダム・ラガ |
20(15…5) 20 |
4位 |
ジェロニ・ファハルド |
22(13…9) 17 |
5位 |
アルベルト・カベスタニー |
30(14…16) 18 |
6位 |
黒山健一 |
33(22…11) 14 |
Ranking(最終) |
1位 |
藤波貴久 |
282 |
2位 |
ドギー・ランプキン |
266 |
3位 |
アダム・ラガ |
254 |
4位 |
アルベルト・カベスタニー |
195 |
5位 |
マルク・フレイシャ |
174 |
6位 |
ジェロニ・ファハルド |
158 |
|