6月の予定が、約2ヶ月半遅くなっての開催となった母国グランプリ。藤波貴久は海外遠征ライダーよりもひと足早く帰国して、決戦の日を待ち受けた。とはいえ、愛車はぎりぎりになるまで届かないから、できることといえば、時差ボケの解消と、日本の猛暑にからだを慣らすことくらいだった。しかし藤波の帰国当初は、日本の猛暑は影を潜めていた。
藤波が日本大会で使うマシンは、イギリス大会で使ったものだ。過去には、2台のマシンを用意して日本やアメリカなど、遠征の時には別のマシンを使うこともあったが、トップライダーのマシンとのコンビネーションは、本当に微妙な感覚の上に成立している。今は万難を排して、慣れたマシンで全戦を戦うようになっている。
なので、基本的なセッティングはいつもの藤波の好み通り、そのまま乗れば藤波の実力が発揮できるはずのマシンなのだが、しかし落とし穴があった。ガソリンだ。いつも使っているガソリンと、日本で手に入れるガソリンとが微妙にちがう。これで、藤波のセッティングは白紙からやりなおすことになった。
ところがここでまた問題だ。今回は、チームのチームメカニックが来ていない。この日本大会には、藤波のランキング3位争いのライバルだったアルベルト・カベスタニーをはじめ、いつものメンバーが少なからず欠席している。トニー・ボウのメイン・マインダーも来ていない。ボウのマインダーは、往年のトップライダー、アモス・ビルバオが務めることになった。藤波のセッティングのほうは、チームの他のメカニックがコンピュータによるセッティングノウハウを覚えてきたり、日本サイドの設計陣がプライベートで手伝ってくれたりと、いつもとは様子のちがうピット風景となっていた。
スタートは前回のイギリス大会の成績順で、ラガ、ボウ、藤波の順。もてぎは先陣を切ってトライするのがきわめてむずかしい会場だが、今回は前にラガとボウが走るので、その点は少し優位だ。去年の藤波は前戦のイギリス大会で優勝していたためトップスタート。ラインのないところでの難セクション攻略には手を焼いたものだった。
序盤4セクション、藤波は巨大岩盤の入口の岩で失敗してしまった。これは手痛かった。その後、第9セクションまではクリーンし続けるも、1ラップが終わってみると、トップのラガと12点の点差をつけられていた。ラガの1ラップ小計が14点だから、その差は小さくない。
エンジンのセッティングは、完全に藤波の思うようなものになっていなかった。ちょっとした違和感が、藤波のアクセルワークに微妙な影響を与え、失敗を誘っていく。この日の藤波は、ついに一度も、自分らしいライディングができた実感なく、試合を進めていくことになる。
不幸中の幸いだったのは、4位以下の調子も今一つで、1ラップを終えたところでジェロニ・ファハルドとの間にも12点の点差があったこと。表彰台を守るのは最低限のミッションだから、3位の座が安泰なのは最低限の朗報といえる。しかしもちろん、藤波自身は自分の点数について把握していない。そのほうが試合に集中できるという、いつもの藤波の作戦だ。
2ラップ目、第1セクションで5点、1点だった第2でも今度は3点と、藤波はあまり復調できぬまま試合を進めていく。特に、1ラップ目にクリーンだった第6、第7で連続5点をとって、優勝戦線はもちろんだが、3位の座にも段々黄色信号がともり始めた。
14セクションを出たところで、藤波はシレラ監督に戦況を聞いている。細かい点数は聞かないし、シレラも言わない。ただ、あまりよくないという状況だけは教えてもらった。残るは最終セクションのみ。ここは絶対にクリーンしろ、というのが監督のアドバイスだった。もちろんクリーンするつもりだが、よりいっそうの気合いを込めて、最終セクションに向かう。
実はこの時点で、藤波はファハルドに4点差で4位にいた。とにかく最終セクションをクリーンして、ファハルドの最終セクションの動向を見守るしかない。
ボウとラガはクリーン。藤波も1ラップ目はクリーンだから、クリーンはそれほどプレッシャーのかかる仕事ではなかったが、油断は禁物。池の中から慎重かつ大胆に、最後の岩に飛びつき、そして頂点の丸太を制してクリーンした。
やや遅れてファハルドのトライ。ファハルドは、その岩の攻略に失敗して、5点。終わってみれば、たった1点差での、藤波の3位表彰台獲得だった。
土曜日の試合は、課題が多かった。まずは、エンジンのフィーリングを藤波の感覚に合うものに仕立て直さなければいけない。フューエルインジェクションのマッピングをやりなおしして、前の日とは別ものの性格のエンジンができあがった。これが藤波の感性にマッチしてくれるのを願うばかりだ。
幸先はよかった。エンジンは、藤波の思いに素直に反応してくれる。マシンと一体になった藤波は、よけいなプレッシャーにまどわされることなく、ライディングに集中することができた。
表彰台に乗った3人は、第1セクションをそろってクリーン。第2セクションはこれもそろって1点をつき、そして第3セクション。ボウが入口で5点となり、ラガが出口で5点となったのを見た藤波は、ここを3点で通過した。わずか2点とはいえ、これは小さくないアドバンテージとなった。
続いて第4セクション。土曜日にはここでの失敗で優勝戦線から脱落していった。しかし今度は、ライバルが次々に5点となる中、藤波は1点で通過していく。序盤4セクションにして、ボウとラガに6点差。悪くない滑り出しだ。
藤波自身はこういった細かい点数を把握することはないが、しかし目の前でライバルが5点になっているのは一目瞭然だ。この日、悪くないペースで試合を進められているのは、点数を把握せずとも藤波の実感するところだった。
その後藤波は、第7で3点、第8で1点と減点してしまうも、まだまだ優勝争いは続いている。今日はボウの調子が優れないから、トップ争いは藤波とラガの一騎打ちになりそうだ。
そんなさなかに、アクシデントは起こった。10セクション。ハローウッズの森の中に設営された、大岩を次々に攻略していく難セクションだ。ひとつひとつの岩を確実にクリアして、最後の岩にアプローチする藤波。このとき、ほんのわずか、タイヤがグリップを失った。それは、向こう側の岩まで、わずかに飛距離が足りないという結果になって現れた。
残念。5点だ。しかし悲劇は5点になったことではなかった。岩から落ちた先には、別の岩があった。藤波の左膝は、マシンと岩の間に挟まれ、さらに力いっぱいひねられてしまった。瞬間、激痛が走る。しばらくは痛みをかわそうと叫び続ける藤波だった。
これはただ事ではない。担架が要請され、藤波はここでリタイヤかという心配がもちあがった。藤波自身は、痛みでうめきながら、徐々に自分の状態を確認していった。痛みはともかくとして、足は動く。試合を続けるためには、どうしたらいいか……。
やがて、藤波は立ち上がった。そもそも、藤波はレースをあきらめるなど、これっぽっちも考えていない。さりとて、結果として走り続けられない可能性はあった。10セクションから、山道を降りて11セクションへ。マシンから降りてはみたが、ひとりでは下見ができない。坂を登ったり降りたり、この足ではまず不可能だ。
下見もそこそこに、藤波はセクションに入ってしまうことにした。不幸中の幸いだったのは、11セクションはこの日の朝の変更で、ジュニアクラスと同じライン設定になっていた。もちろんそれでも難度は高い。特に、クリーンをしようと思うと、一瞬の油断も許さない厳しいセクションだった。ボウは、ここで1点減点している。
藤波は、完璧なライディングをした。見事なクリーンだった。しかしセクションをアウトした藤波は、オブザーバーにパンチカードも出せずに、しばらくマシンの上でひれ伏していた。足は痛かった。しかし同時に、こんな状況で、この先2ラップ目の最後まで走り切れるのだろうかと、強い不安が藤波を襲っていたのだった。それほど、11セクションのクリーンはたいへんだった。痛みと戦いながらのクリーンだった。力も、入らない。
12セクションに到着すると、お客さんの中に知った顔を見つけた。気功をやるというその人に、藤波は実は土曜日の試合後にからだを見てもらっている。そのときの印象が悪くなかったので、このときも見てもらうことにした。ほんの短時間だったが、それまで、痛いだけでなくまったく力が入らなかった足に、ちょっとだけ力が入るようになった。これなら、もしかしたらいけるかもしれない。紹介してくれた小林直樹さんに感謝しつつ、今は12セクションを走り切るのが命題だ。
12セクションは、土曜日には一度失敗している。どちらかといえば、苦手なセクションの部類に入る。しかし藤波は、ここを見事にクリーン。ライディングだけを見れば、足が痛いことなど見る者に気がつかせない。続く13セクションもクリーン、泥沼の14セクションこそ3点をとったが、15でまたクリーン。負傷の藤波が、クリーンの山を築いていく。
1ラップ目、トップスコアはラガがとった。その減点、20点。対して藤波は、わずか2点およばずの22点だ。足の具合がどうなるかわからないが、2点差は、充分優勝を狙える点差である。痛む膝にはテーピングを施し、前から膝を痛めているマインダーのジョセップが、サポーターを貸してくれた。これで少しは状況改善。2ラップ目に入っていく。
チームは、例によって藤波に点数を教えない。藤波も、聞こうとしない。日本グランプリは、主催者の速報体制が整っているので、知ろうと思えば簡単に戦況が知れるのだが、やはり聞かずに試合を進めている藤波だった。
しかし藤波は、かつてのチームメイトであるドギー・ランプキンに状況を教えられてしまった。ランプキンは、5月に足首を負傷して、以降は万全の調子ではない。今回も来日はしたものの、ラガのサポートに徹して試合を回っている。いわばライバルチームのスタッフなのだが、藤波とランプキンの間には、長い間に築いた友情もある。ケガをしてなお、状況は悪くないこと、しかし2ラップ目もラガは好調を維持していることなどを、ランプキンは教えてくれた。この日のボウは、藤波の目の前でたびたび失敗している。点数は聞かずとも、ボウがトップ争いに食い込んでくることはなさそうだ。
2ラップ目、4セクションで5点。このとき、痛い膝をまた痛めてしまった。5点になると、勝負に影響があるだけでなく、たいへんに痛い。痛みを押さえ込んで、ひとつひとつ走り刻んでいく藤波。優勝争いは徐々に不利な展開となっていくが、それでも藤波のこころのモードは、優勝ねらいから一歩もひいてはいなかった。
結果的には、第7で5点、12と13で1点ずつといった減点が、藤波の勝利を阻むことになった。しかし最終セクションのクリーン、そしてこの日の藤波の姿は、つめかけた日本のファンに、きっと熱い感動を与えたことだろう。思えば2000年に、初めて世界選手権が日本で開催されたときにも、藤波は足に大けがを負っている。ケガを負いながらも感動の走りができるライダー、それが藤波貴久だ。
1位との差10点。しかし今日の2位は、優勝以上に、意義深い。
「土曜日は、まったく自分の走りができませんでした。なんとか3位表彰台に上ることができたのは、もてぎに集まってくれたお客さんの声援があったからだと思っています。ありがとうございました。そして日曜日、エンジンはセッティングを大きく変えて、満足のいく状態になっていました。自分の調子がいいのも、トニーの調子が悪いのもわかっていたので、勝ちを狙っていこうと走っていました。10セクションのアクシデントは、本当に痛かった。痛かったけど、自分自身ではレースをあきめらることは考えていませんでした。ただ、このケガで最終戦は走れるのかなと、それが心配でした。とりあえず足が動くことを確認して11セクションを走って、でも痛くて、力が入らなくて、ほんとうにたいへんでした。こんな状況では、とても最後まで満足な走りはできない。それでセクションをアウトして、動けなくなってしまった。痛いのもあったんですけど、この先の不安で、泣いてたんです、実は。でも12セクションで直樹さんのお知り合いにさわってもらって、ちょっと復活しました。あとはみなさんの声援で、2位の表彰台に押し上げてもらったような者です。ほんとうに声援がなければ、走り通せなかったと思います。優勝はできなかったけど、日曜日はいい走り、いいトライアルができたと思います。ありがとうございました」
土曜日 | |||
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1位 | トニー・ボウ | レプソル・モンテッサ・Honda | 31 |
2位 | アダム・ラガ | ガスガス | 32 |
3位 | 藤波貴久 | レプソル・モンテッサ・Honda | 64 |
4位 | ジェロニ・ファハルド | オッサ | 65 |
5位 | 黒山健一 | ヤマハ | 73 |
6位 | ロリス・グビアン | ガスガス | 93 |
7位 | 野崎史高 | ヤマハ | 103 |
8位 | 小川友幸 | ホンダ | 109 |
日曜日 | |||
1位 | アダム・ラガ | ガスガス | 41 |
2位 | 藤波貴久 | レプソル・モンテッサ・Honda | 51 |
3位 | トニー・ボウ | レプソル・モンテッサ・Honda | 61 |
4位 | 黒山健一 | ヤマハ | 75 |
5位 | マイケル・ブラウン | ガスガス | 83 |
6位 | 野崎史高 | ヤマハ | 97 |
7位 | 小川友幸 | ホンダ | 98 |
8位 | ロリス・グビアン | ガスガス | 102 |
世界選手権ランキング | |||
1位 | トニー・ボウ | レプソル・モンテッサ・Honda | 167 |
2位 | アダム・ラガ | ガスガス | 154 |
3位 | 藤波貴久 | レプソル・モンテッサ・Honda | 131 |
4位 | ジェロニ・ファハルド | オッサ | 102 |
5位 | アルベルト・カベスタニー | シェルコ | 99 |
6位 | ロリス・グビアン | ガスガス | 74 |
7位 | マイケル・ブラウン | ガスガス | 71 |
8位 | ジェイムス・ダビル | ベータ | 69 |