3レース続けて2位。悪夢の開幕序盤戦やイギリス大会でのアクシデントから、完全に立ち直ったかに見える藤波貴久。次はいよいよ勝利を狙いたいところだ。
イタリア大会から1週間後、今度は毎年恒例、アンドラ大会にやってきた。標高2000メートル近い高度にあるパドック、セクションは標高差1000メートルを超えて設定されていて、そのアクロバチックな地形と乾いた風土は、世界選手権の中でも独特の雰囲気を醸し出している。
標高が高ければ、空気の密度が薄くなって、エンジンはパワーを失っていく。少ない空気でパワーフィーリングを通常時と同じように保つには、念入りなセッティングが必要だ。チームでは、テストライダーのアモス・ビルバオを事前に高地セッティング要員とし、イタリア大会が開催されている同じ頃に、高地テストを繰り広げていた。標高差はなくせないものの、これでずいぶんと走りよい状況は作ることができた。ところが。
藤波がアンドラ入りしてから、どうもマシンが機嫌をこわしている。クラッチが思うように作動してくれない。藤波のライディングの真骨頂は、そのクラッチワークにある。黄金の左手人差し指(みなさん、ご存知だと思うが、肝になるクラッチ操作は人差し指一本でおこなう)、その指令を忠実にエンジンに伝えるのがクラッチ機構だ。藤波はクラッチのコンディションには気を使う。万全のライディングは万全のクラッチ動作があってこそ、完成する。
ウォーミングアップに出かけても、クラッチの修復とセッティングで、ほとんど時間を費やしてしまう。まともに練習ができないまま、スタート時間を迎えることになった。思う結果にならないため、最近使い始めた新しいパーツを従来のものに戻すという対策までおこなっている。仕様が決まってからは、前の仕様をひっぱりだすことなどないから、これにはバルセロナのワークショップまでパーツを取りに帰ることにもなった。そこまでして組み上げて、なんとか走れる状態になったクラッチである。本当はこれでも万全ではなかった。妥協は許さず最高のものにしたかったのだが、時間切れだ。
なんとかスタートした藤波だったが、しかし第1セクションに到着するまでに、さらにトラブルが襲った。週末に悩み続けていた部分とは別の部分だったが、こちらはほんの些細なパーツが破損してしまった。コースの移動中だったから、異音の発生とともにすぐにエンジンを止めたのが不幸中の幸いだった。もしもあと何十秒かエンジンを回していたら、破損したパーツがエンジンの中身を破壊してしまったかもしれない。あやうくリタイヤの憂き目にあっていたかもしれない状況からすると、まだ運はあった。
第1セクションまでマシンを押していって、そこで修復。セクションをひとつも走らないうちに修理とあいなった。もちろんその間に、ライバルはみなセクションをトライして、先へ進んでしまった。ここでも不幸中の幸いだったのは、前回イギリス大会のように参加者が多くはなく、藤波が修理している間にも、ジュニアやユースのライダーが追いついてくることがなかったことだ。
なんとか第1セクションを走り終えたのは、ラガやボウがトライしてから、10分、15分たってからだった。それから急いで追いかける。ここでも不幸中の幸いは、他のライダーのペースが、そんなに早くなかったことだ。だから第2セクションで、みんなのペースに追いつくことができた。
しかしここでまたトラブル。今度はパンクだ。どうやら第1セクションを走っているうちにパンクしたらしい。フロントホイールを、サポートのマシンと交換する。いつもなら、ほんの数分の作業だが、しかしここは山深い谷底。サポートのマシンは山の上のほうに止まっていた。山の上からフロントホイールを運んできて、そこで交換作業。セクションをひとついくたびにトラブルが襲いかかる。精神を集中しなければいけないトライアル競技なのに、これはとても厳しい状況になった。
しかしライダーの心理もまた、一筋縄ではいかない。平静を保てるコンディションであっても気持ちが乱れることはあるし、トラブルをかかえているときに集中できることもある。今回は、トラブルがどう働いたか、藤波のスコアは悪くなかった。第5セクションまでは、藤波はライバルにわずかながらリードをとっていた。
今回、第5セクションまでは川の中のセクションだった。標高1700メートルほどのパドックから、一気に標高1000メートルほどまで下がって川のセクション。第6セクションがパドックの近くに設定されていて、そこからは2000メートルまであがり、今度はからからに乾いたセクション群となる。
ドライのセクションになって、心配が現実のものとなった。クラッチが自分本来の動きをしていない。クラッチひとつちがえば、ライディング全体に影響を及ぼすことになる。たとえばつながりが早ければ、エンジンのレスポンスがいいような感覚を、ライダーに与えてくる。つながりが遅ければ、エンジンがゆっくりの印象となる。クラッチの機嫌が変わってしまうと、エンジンの調子もちがって感じられて、ライディングも変わってくる。ドライのセクションでは、その迷いがダイレクトに結果になった。
こうなると、ライバルとの勝負とは別次元の戦いとなった。がまん、がまん。スコアが悪いのは、他と比べなくても明らかだった。がまんにがまんを重ねて、少しでもいいスコアをたたき出すように努力するしかない。チームも、藤波の苦悩をよく知っているし、今日の調子が本来でないのを知っている。藤波からもスコアは聞かなかったし、チームも藤波に戦況を伝えることはなかった。「自分のレースをしなさい」と、チームが藤波に出した指示は、それだけだった。
2ラップ目、そんな中ではやや調子のよかった川の中のセクションにきた。しかし1ラップ目後半ですっかりペースを乱してしまった藤波は、なんとか走れていた川セクションでも小さなミスが出た。いいところなし。
試合も最後の最後になって、ようやく点数を聞いたのは、14セクションを前にしてのことだった。14セクションは、この日のこのマシンコンディションにあっては、クリーンは絶対に無理、3点か5点のどちらかでしかありえなかった。藤波の前で、4位争いのライバル、ドギー・ランプキンがトライ。5点になった。ここまで、藤波はランプキンと、さらにジェイムス・ダビルにも遅れをとっていた。ここで5点になっては、このふたりに上にいかれてしまう接戦だった。
こんな感じで4位争いをするのはもちろん本意ではなかったが、しかしここでは、悪くても絶対に取らなければいけない4位の座だ。14セクションを、藤波はやっとの思いで3点で抜けた。試合の結果は、ランプキンとダビルに対して、わずか1点差で得た4位だった。
ただし今回の4位は、いつもの3人の戦いの、そのさらに上をいく好調さでジェロニ・ファハルドが勝利をかっさらっていったからだ。ラガとボウの点数を見ても、ファハルドがいかに調子よかったかがわかる。手のつけられないほどに調子がいい時は、どんなライダーにも(ごくまれにしろ)ある。この日のファハルドは、そんな好調ぶりを発揮した。そういう点では、ラガとボウについでのポジションは、悪くはない結果だったのだ。こうして、次から次へと不運が襲う中での、不幸中の幸いの1日が終わった。
「ジェロニは、ほんとうに調子がよかった。今日の彼の勝利には、心からおめでとうを言えるものでした。対してぼくのほうは、ほんとうにひどかった。ぼくの今のテーマは、楽しくトライアルをすることなので、こんな状況でも楽しんで乗ろうと努力はしてみました。でもだめだった。やっぱり顔が引きつっていたみたいです。実際、楽しくありませんでした。こんな中では、ランプキンにもカベスタニーにも負けなかったし、これで満足なんかできるわけはありませんが、へたをするとランプキンにもダビルにも負けて7位くらいになっていたかもしれないし、それどころかリタイヤしていたかもしれないのだから、まだよかったのかなと思うことにします。これからざっと2ヶ月間の夏休み。マシンも体も、全部リフレッシュして、最後の2戦に備えます」
日曜日 | |||
---|---|---|---|
1位 | ジェロニ・ファハルド | ベータ | 15 |
2位 | アダム・ラガ | ガスガス | 21 |
3位 | トニー・ボウ | レプソル・モンテッサ・Honda | 23 |
4位 | 藤波貴久 | レプソル・モンテッサ・Honda | 43 |
5位 | ドギー・ランプキン | ベータ | 44 |
6位 | ジェイムス・ダビル | ガスガス | 44 |
7位 | アルベルト・カベスタニー | シェルコ | 51 |
8位 | マルク・フレイシャ | ガスガス | 59 |
世界選手権ランキング | |||
1位 | トニー・ボウ | レプソル・モンテッサ・HRC | 167 |
2位 | アダム・ラガ | ガスガス | 155 |
3位 | 藤波貴久 | レプソル・モンテッサ・HRC | 113 |
4位 | ジェロニ・ファハルド | ベータ | 106 |
5位 | アルベルト・カベスタニー | シェルコ | 106 |
6位 | ドギー・ランプキン | ベータ | 104 |
7位 | ジェイムス・ダビル | ガスガス | 86 |
8位 | マルク・フレイシャ | ガスガス | 74 |