悩みのどんぞこのポルトガル大会から3週間。世界選手権はイギリス北部のカーライルにやってきた。この間、藤波は自分のマシンを少しでも自分の手足にすべく、あらゆるセッティングの見直しをおこなっていた。大きく変わったエンジン特性は、ライディングの乱れを生む原因でもあるが、しかし新たなポテンシャルを発揮できるのもわかっている。ここはあまり変更をせず、クラッチやブレーキなど、操作系の細かい部分を再度セッティングしなおす作業を繰り返した。ライディングそのものの問題ではない。マシンを自分の手足にできないのが今の藤波の問題だ。そこがクリアされれば、事態は大きく変わっていくにちがいない。
そして迎えたイギリス大会。前日に雨が降り、当日もまた降ったりやんだり。雨模様の大会となった土曜日。藤波には、ある程度の感触があった。練習中からも、今年これまでの3戦とは大きなちがいがあるのが実感できる。今回は、ランキング5位としてのスタート順。藤波が参考にできるのは、事実上ランプキンしかいなかった。それより前を走るライダーは、はっきりいってライディングの参考になるまでの走りができていない。ランプキンは、しかしさすがに地元イギリスの大会。下見から、ポイントを完全に見切っていた。ここを走るの?というようなラインを見ていたりする。イギリス大会でランプキンの走りを参考にできるのは、悪くないことだったかもしれない。
藤波は、ランプキンを追うように、同じようなペースで試合を進めていった。そして減点も、ランプキンとほぼ同じようなくらい。この日、ランプキンが好調であるのは情報からも感触からも明らかだったので、ランプキンと同じようなペースで走れているのは、藤波にとっても悪くない。スコア自体はランプキンのほうがほんのわずかに勝っていたが、2ラップめに追い上げがきく範囲だ。
12セクションまでを走って、トップはボウで5点。2位のラガは6点。ランプキンは10点で3位。藤波は13点で4位につけていた。トップ二人からはやや離されているから、そんなに喜ぶべきスコアではないものの、しかし藤波本人は、今年はじめてマシンと一体になってライディングしている実感を感じていた。本来、こういう感触を持って試合に臨むべきものが、今年はこれが初めてだ。ようやく藤波の2009年シーズンが始まった……。
そして迎えた13セクション。登って降りて、最後に登るところが難所だった。1メートルほどの大きさのきっかけ岩を飛んで土の斜面に飛びつき、そのまま垂直の壁を走り登り、最後に50cm大の岩を越える。下から上まで、落差は5メートル、あるいは6メートルにもなろうか。難所中の難所だ。しかし藤波は、うまくマシンを上昇させて、最後の岩にアンダーガードをかけて、後輪までのせようというところで、しかし前へ進む勢いがほんのわずかに足りなかった。だめだ、5点だ。それでマシンは頼もしいマインダーに預けて、藤波自身はマシンから飛び降りた。いつものとおりのアクシデントからの回避対策である。
マシンはマインダーががっちり受け取った。しかし問題は藤波だった。マシンから飛び降りた藤波は、足が宙に浮いたまま落下した。崖にもどこにも、なにもひっかからないまま、これでは、崖のてっぺんから飛び降りたのと同じことだ。しかも落ちながら、藤波の軌跡が左にずれて、その先には大きな岩があった。そしてダイレクトに岩に激突した。胸部直撃だ。
あたった瞬間、藤波はゴリゴリという違和感を感じている。そして地面に墜落すると、今度は息ができない。意識もなんだかもうろうとしてしまっている。すぐ、みんながやってきてくれた。次を走るライダーやマインダー、モンテッサのチームの面々、FIMの報道官のジェイクなど、みんなが身動きできない藤波のもとへやってきた。ジェイクは、息ができない藤波の口に指を突っ込み、呼吸を確保してくれた。5分くらいじっとしていて、激痛に耐えていた。その後セクションの外に出た。動くとまた激痛。そこでまた5分うなっていた。前屈みになっていれば、なんとか息ができる。体を直立させると、がまんができない。
1ラップ目の残り時間はあとわずかになっていた。14セクションはすぐ隣にあった。それでマシンのもとへ寄っていって、トライをしようかと思ったが、ハンドルを握ってみれば、とてもではないが走れるものではなかった。なんとか14と15を申告5点でパンチをもらい、カード交換をして2ラップ目のカードももらい、その時点でようやくの思いでパドックへ戻った。
パドックでは大会ドクターがやってきて、診察をしてくれた。触診で、少なくともあばらが1本は折れているという。折れているだけならまだいいが、折れた骨が肺などの臓器に刺さっていたら一大事である。そうなると、一刻を争う。試合のほうは、走ったとしてもすべてのセクションを申告5点で回ってくるしかない。それでも、出場が11人だから、世界選手権ポイントは5点ほど入ってくる。せめて5点のパンチをもらって1周だけしたい。
そう主張すると、シレラ監督にえらい勢いで怒られた。ひとつのレースより、自分自身を大切にしろ、ここでもう1周して、二度とトライアルができないようになったらどうするんだ、まずは病院へ行って、しっかり検査をしてもらえ……。
それでしぶしぶ、藤波は救急車に乗った。もちろん痛いのは猛烈に痛い。痛いが、しかしリタイヤをするのはやっぱり納得がいかない。救急車が走り始めたところで、もう一度救急車を止めてもらってシレラに電話をした。「やっぱり申告5点で1周させてくれ」。もう一度、監督に怒られた。そして説得された。なにかあったらどうするんだ。なにかあってからでは遅いぞと。
病院でのチェックの結果、幸い、骨には異常がなかった。ただ、打撲はひどい。たぶん、筋肉とかも傷ついているだろう。ただ、お医者さんのいうことは、ほとんどわからなかった。スコットランドなまりの英語で、とてもとても聞けたものではない。マインダーのジョセップとカルロスもいっしょに病院へ行ってくれたのだが、彼らとて英語はそんなに得意ではない。ただ、骨折はしていないというのが、かろうじてわかったことだった。痛いのは骨折ではなくて、打ったときに、全体的に激しく動かされたので、筋肉などが切れたりしているからだろうということだった。
病院から戻ったら、試合は終わっていた。はじめてのリタイヤだった。すぐ、自分のマシンに乗ってみた。しかし痛い。走ってみるも、8の字ターンをするのが精一杯だ。お医者さんには「走れるなら走ってもいい」といわれている。ただそれは、走れるのを保証されたわけではない。最大限の痛み止めを服用して、それでも走れるほどに痛みがひくかどうかわからない。その晩は、寝返りを打つたびに痛みで目が覚めて、ほとんど眠れなかった。うつらうつらと何度か小刻みに眠って、朝になってみると、今度は首から足から腕からなにから、すべて痛い。全身がむち打ち症のような症状だった。
スタート前、30分、40分のウォームアップをして、とりあえずスタートをすることにした。選手権ポイントが何点かとれればいい。どこまで走れるかはわからないが、走れるところまで走って、走れなくなったら、申告5点で全周を回ればいいと思って走り始めた。特に、飛び降りたりするのがすごく痛い。岩に登ったりするのも痛いが、これは一瞬の痛みなので、歯を食いしばっていればなんとかがまんができる。マシンを振ったりするのは連続だから、ずっと痛い。試合では、そんなことがずっと続くわけだ。
体が持つかな? 藤波の不安は、その一点にあった。この前まで、表彰台から脱落することがものすごく大事件だった藤波だが、今日は、もしもスタートの時点で「4位でいいなら走らなくていい」といわれたら、まちがいなく走らずに4位を甘んじて受けた、という。実際には、8位か9位ほどになれれば上出来と思いつつのスタートだった。すべてのセクションで、顔をくしゃくしゃにしながら走っていた、と藤波は振り返る。それだけ、痛かった。
セクションが進んで、体が温まるに従って、少し痛みがやわらいできた。それでも飛び降りはがまんできない。細かい1点がけっこうあるが、これは難所で失敗して足をついているのではなく、全部飛び降りの痛みにがまんができなくて足を出しているものだ。
大クラッシュをした13セクションは、1ラップ目は痛い思いをした大岩でいったんマシンを止めて、そこから再スタートして加速した。それで3点で抜けられた。しかし2ラップ目は、みんなが止まらずに走り抜けていたので、意を決してまっすぐ一気に登ることにした。とてもこわかったが、なんとか登ることができた。登ったところで足が出た。2ラップ目は1点だった。
この日、1ラップ目の第3セクションでも5点をとっている。これはゲートマーカーの見落としだった。土曜日から変更になったセクションを、しっかり下見している余裕は、この日の藤波にはなかった。しかもこの日の藤波は、誰よりも早いスタートだった。藤波より前には、ジュニアの選手たちしかいない。これも藤波にははじめてに近い経験だ。
最終的には、3位のアルベルト・カベスタニーと1点差の4位だった。8位か9位になれればと思ってスタートしたことを考えれば、望外の好成績だ。しかし1点差(クリーン数の差があるから、実際には勝利するにはあと2点減点を減らさなければいけなかった)となると、また別の欲が出てくる。あと2点で表彰台だった。これはいつもと同じく、とてもくやしい。痛みはまだまだひかないが、気持ちは表彰台があたりまえの、本来の藤波貴久に戻りつつあった。
「たいへんな週末でした。まだまだしばらくは痛いみたいです。でももし骨折していたら、日曜日に走れなかっただろうし、もてぎにも間に合うかどうかあぶないところだったと思います。土曜日はリタイヤで本当にくやしかったし、日曜日は表彰台を逃して本当にくやしかったけれど、本当に痛かったので、他のことはなにも考えられず、走ることに集中できたという点で、いい勉強をさせてもらったのかもしれません。土曜日に失った何点かの選手権ポイントは、これが最後に大きなものになって返ってくると思いますが、今は骨折しててなくて運が良かったのだと思うようにしています」
土曜日 | |||
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1位 | トニー・ボウ | レプソル・モンテッサ・Honda | 13 |
2位 | アダム・ラガ | ガスガス | 22 |
3位 | ドギー・ランプキン | ベータ | 40 |
4位 | ジェイムス・ダビル | ガスガス | 47 |
5位 | アルベルト・カベスタニー | シェルコ | 48 |
6位 | マイケル・ブラウン | シェルコ | 52 |
7位 | ジェロニ・ファハルド | ベータ | 54 |
リタイア | 藤波貴久 | レプソル・モンテッサ・Honda | |
日曜日 | |||
1位 | トニー・ボウ | レプソル・モンテッサ・Honda | 13 |
2位 | アダム・ラガ | ガスガス | 16 |
3位 | アルベルト・カベスタニー | シェルコ | 26 |
4位 | 藤波貴久 | レプソル・モンテッサ・Honda | 27 |
5位 | ドギー・ランプキン | ベータ | 37 |
6位 | ジェイムス・ダビル | ガスガス | 38 |
7位 | ジェロニ・ファハルド | ベータ | 40 |
8位 | ロリス・グビアン | ガスガス | 46 |
世界選手権ランキング | |||
1位 | トニー・ボウ | レプソル・モンテッサ・HRC | 97 |
2位 | アダム・ラガ | ガスガス | 88 |
3位 | アルベルト・カベスタニー | シェルコ | 69 |
4位 | ジェロニ・ファハルド | ベータ | 55 |
5位 | ドギー・ランプキン | ベータ | 54 |
6位 | ジェイムス・ダビル | ガスガス | 50 |
7位 | 藤波貴久 | レプソル・モンテッサ・HRC | 49 |
8位 | マルク・フレイシャ | ガスガス | 42 |