2006年 インドア世界選手権第11戦ブエノスアイレス、アルゼンチンGP
2006年3月11日/Luna Park /観客数:7000人
痛かった南米ラウンド、6位……
ブラジル大会のあと、1週間後のアルゼンチン大会。藤波は、ブラジル大会後、スペインに戻らず、ブラジルとアルゼンチンでつかの間の休暇をすごした。アルゼンチンは昨年に続いて2年目の開催となる。昨年はアルゼンチン一戦だった南米ラウンドが、今年はブラジルが加わって2戦となった。インドア世界選手権も、どんどん世界に広がっていく。喜ばしい反面、来るシーズンの開幕を目前にして、ニューマシンの開発期間とバッティングしてのシリーズは、日程調整に悩むところではある。
今回の藤波は、ワイルドカードのタデウス・ブラズシアクとトニー・ボウにつづいて3人目のスタート。レギュラーの5人の中ではもっとも早いスタートとなる。
藤波自身の調子は、悪くなかった。といって、格別よくもなく、いつものとおり、ごくふつうのコンディションだった。三番目にスタートする藤波が先行の二人のトライを見ていると、藤波がそれほど難セクションと思わなかった第1セクションで、二人とも5点になっている。ブラズシアクが5点になっときにはそんなものかと思ったが、ボウが5点では思わぬ落とし穴があるのかもしれない。スタートを前に、藤波は急ぎセクションを観察に出かけた。すでに試合は動いているから、セクションの中で下見はできない。立ち入り禁止エリアの外側から、注意深く見落としがないか確認する藤波。
しかして実際に走ってみると、藤波はクリーン。ボウは、たまたまマシン運びがうまくいかなかったようだ。ボウの減点は12点(ハイジャンプとダブルレーンの前までの段階)。あとに走ったラガも13点で、藤波もふつうに走れば、これくらいの点数にはまとめられるはずと思ってセクションを進めていこうと思っていた。いくつかは自分から足をつき、とにかく5点にならないことが重要だ。
この日最初のアクシデントは第2セクション。前後輪がきっちり落ちつく場所がなく、フロントを吊ったまま(前輪を高くあげたまま、いわゆるダニエル状態のまま)ぽんぽんと走破していくセクションだったのだが、ここでちょっとバランスを崩してしまった藤波は、足をついてバランス修正をする策を選んだ。ところがついた足が右足。リヤブレーキの操作ができなくなった。すべては一瞬のできことだ。リヤブレーキ操作を与えられなかったマシンは藤波を振り落とした。ここまでは、よくあるアクシデントだ。しかし振り落とされた藤波の背後には、コンクリートのかたまりがあった。藤波は、腰を強打してしまった。
この腰の痛みが、強烈だった。しかし試合はまだ序盤である。なんと か痛みをひきづりながら、次の第3セクションにトライ。ここはやや難セクションだったので、1点は最初からついていくつもりでいた。しかし痛みがライディングをじゃましてしまう。さらにもう 1点ついて、第2セクションは2点。
そして第4セクション。ここには、90度くらいのターンをしながら飛び降りて、すぐに二段ステップを駆け上がる設定があった。降りるスペースも、ごく狭い。藤波は、完全に降りきらないで、フロントタイヤを次にのぼる二段の一段目に置きに行く作戦をとった。ところがこれが結果的には裏目となった。
段差から飛び降りながらフロントタイヤを降ろそうとしたところが、その前にフロントフォークが段差にあたってしまった。アクションをじゃまされたマシンは、予想外の動きをする。絶妙なバランスの上で成立しているトップライダーのライディングは、一歩まちがえればたいへんなことになる。藤波は、段差からまっさかさまに転落していった。
最初に、顔をぶつけた。それから転落して、左手側から着地するかっこうになった。クラッチのマスターシリンダーが破損し、クラッチレバーにかかっていた人さし指は、大きく切れていた。
クラッチが壊れてしまったから、マシンはスペアを走らせるしかない。しかしそれ以上に問題だったのが、左手人さし指だ。鋭く切れてしまっているから、出血が激しい。そのうえクラッチ操作をしようものなら、どくどくと出血する。ライダーにとって、人さし指は代わりのきかない重要な操作機関だ。しかしここではさすがに、藤波は中指を人さし指のサポートにし、コントロールが利かないクラッチ操作をしながら走ることにした。血を吹きだしながら、第5セクションは3点。
第6セクションは、インに藤波があまり好きではない段差が待ちかまえていた。それでも最後の一踏ん張りでここを走破。ラガが5点となっているこのセクションを、見事クリーンした。
しかし、指はすでに限界だった。最終第7セクションは、インだけして許してもらうことにした。優勝を狙うとかファイナルに進むとか、そういう段階ではない。
7セクションを終えて、藤波の減点は20点。ランプキンが14点、ラガが13点、ボウが12点だから、ふつうに走っていれば、ファイナルへの進出権は、充分に可能性があった今回の藤波だったが、2回のクラッシュと、その都度痛い思いをしてしまったの は致命的だった。
ハイジャンプまでのインターバルの間、すぐに医務室に駆け込んで応急処置をしてもらう。手袋をはずすと、中がどうなっているのかを確認するのが、ちょっとおそろしい。はたして、爪の付け根のあたりが、ばっくりと切れていた。深くはないが、傷は長かった。縫ったほうがよいくらいの傷ではあったが、爪の近くでもあり、縫える状態でもなかった。そこで医療用の接着剤が登場して、これで傷を接着して、それで残るハイジャンプとダブルレーンを走ることになった。
指は、とにかく痛いし、力がはいらない。指だけではなく、強打した腰もいまだ痛い。ハイジャンプは、ついに人さし指を使うのをあきらめて、中指でクラッチミートをして挑んだ。世界チャンピオンの中指ではあるが、この中指は、人さし指ほどクラッチ操作がうまくない。コントロールができずに、オンオフの操作になってしまうのだ。ともかく中指でスタートして、バーを落としながらハイジャンプを終えて、これで藤波のアルゼンチン大会は終了した。
その後ランプキンとダブルレーンでの一騎撃ちが待っていたが、仮に これでランプキンを破ったところで点数的に大差がついている藤波がランプキンの上位につけることはなく、ブラズシアクの7位も決定しているので、ここは痛む指を温存して、スタートしてすぐにリタイヤして、5点をちょうだいすることになった。一時は残りをキャン セルすることも考えていたから、ここまで走っただけでも精いっぱいだったのだ。
走り終わったあと、もう一度消毒をしてもらい、翌早朝にはスペイン行きの飛行機に乗った。今度はお尻が痛くて、飛行機に長時間乗っているのが苦痛。藤波のアルゼンチンは、さんざんな幕引きとなってしまった。
バルセロナで念のためお医者さんの診察を仰ぐと、骨が少々欠けていた。これでは痛いはず。しかし治療方法もないので、痛みと相談しながら(多少治りは遅くなるが)開発テストを走りながらの荒療治を選択することにした。治りは意外に早くて、ぶつけた顔も3日目にはかさぶたがとれ、人さし指ももうかさぶたとなっている。次週、マドリッドのインドア最終戦ではちょっとつらい思いをしそうだが、アウトドアの開幕戦にも問題なく復調するはず。
今は、アルゼンチンの痛い思い出よりも、2006年アウトドアシーズンに向け、まったく一新されたというニューマシンの最後の仕上げに精を出すことが、藤波の頭には広がっている。
○藤波貴久のコメント

Indoor Trial WorldChampionship 2006
Buenos Aires |
Final Lap(決勝) |
1位 |
アルベルト・カベスタニー |
シェルコ |
13 |
2位 |
トニー・ボウ |
ベータ |
18 |
3位 |
ジェロニ・ファハルド |
ガスガス |
24 |
Qualificarion Lap(予選) |
1位 |
アルベルト・カベスタニー |
シェルコ |
5 |
2位 |
トニー・ボウ |
ベータ |
11 |
3位 |
ジェロニ・ファハルド |
ガスガス |
13 |
4位 |
アダム・ラガ |
ガスガス |
13 |
5位 |
ドギー・ランプキン |
レプソル・モンテッサ・HRC |
17 |
6位 |
藤波貴久 |
レプソル・モンテッサ・HRC |
27 |
7位 |
タデウス・ブラズシアク |
スコルパ |
27 |
PointStandings(ランキング) |
1位 |
アダム・ラガ |
95 |
2位 |
アルベルト・カベスタニー |
79 |
3位 |
トニー・ボウ |
60 |
4位 |
ジェロニ・ファハルド |
59 |
5位 |
藤波貴久 |
49 |
6位 |
ドギー・ランプキン |
45 |
7位 |
タデウス・ブラズシアク |
8 |
8位 |
シャウン・モリス |
6 |
9位 |
ジェームス・ダビル |
5 |
10位 |
ダニエル・マウリノ |
4 |
11位 |
ジェローム・ベシュン |
2 |
|