2010年 トライアル・デ・ナシオン

2010年9月12日/ミシレニツェ

壮絶な戦い、5位

photoチェコ大会で2010年世界選手権を終えた藤波貴久は、いったんスペインの自宅に戻り、あらためてチェコのお隣の国、ボーランドへ向かった。トライアル・デ・ナシオン参戦のためだ。世界選手権のシーズンが終わると、その翌週にトライアル・デ・ナシオンが開催されることになっている。最終戦に近い会場が選ばれることが多く、参加者も多く、にぎやかだ。

藤波は、もちろん個人としてトライアル・デ・ナシオンに参戦するわけではない。デ・ナシオンは国ごとに戦うトライアル競技だから、参加するのは日本チームということになる。藤波は他の3名と同じく、日本代表に選抜されたひとりの選手ということになる。

今年、藤波以外の3名の代表は、小川毅士、斉藤晶夫、野本佳章。小川毅士は2006年大会に次いでの2回目のデ・ナオシン参加となるが、斉藤と野本はこれが初めてのデ・ナシオン参加となる。いつもは、日本が誇る世界のポイントランカーをそろえてスペインやイギリスに勝負を挑む日本だが、今年はちょっと様子がちがう。ポイントランカーのベテラン勢が種々の事情で出場ができず、一方将来に向けて、日本チームとしても若手ライダーを育てていきたいという意向があり、それが今回のメンバー選抜となった。

前回、日本が参加したのは2008年アンドラ大会。このときは、スペインに次ぎ、イギリスを破って2位だった。小川毅士が参加した2006年は、3名での参加だった。お互いの失敗をカバーできる4名の参加に対して、3名参加は大きなハンディとなる。しかしこのとき、日本はイタリアを破って、ぎりぎりの3位を獲得した。何度かの不参加はあるものの、参加すれば確実に表彰台。それが、これまでの日本の実力だった。この実力は、ヨーロッパのトライアル関係者も一目置いている。

photo実は今回の日本チームについて、藤波もすんなりと出場を決意したわけではなかった。トライアル・デ・ナシオン参加にあたっては、日本全国のトライアルファンから集められた募金が、遠征費の助けになっている。募金をした人が、はたして若手の育成ということで納得してくれるのか、そこが、藤波を躊躇させた理由だった。

しかし、募金をしてくれた人は、日本の優勝を切実に願う人も多いはずだが、同時に今回の日本チームを応援してくれる人も少なくないはず。それで藤波は、出場の決心をした。募金をしてくれた人が納得するものならば、と、藤波の悩みは、そこで結論が出た。

小川毅士は、デ・ナシオンでもいっしょに走っているし、シーズンを通して世界選手権を戦ったことがあるから、藤波もその走りを見たことがある。斉藤、野本の両名については、走りをじっくり見るのは、今回がはじめてだ。初めて4人が練習場で顔を合わせたのは、土曜日になったからだった。藤波が到着した金曜日には、小川と野本はまだマシンのセットアップに忙しかった。ベータからお借りしたマシンは、なかなか自分の好みの仕様にはならない。日本がデ・ナシオンに参加するときの大きな悩みは、ここにもある。

土曜日の練習で、藤波は若い二人のライディングを初めて見た。実は藤波は、全日本選手権の結果などから、二人の実力を過小評価していた。だから実際に練習場でその走りを見たとき、思っていたよりも二人が上手なのに、驚いた。うれしい誤算だった。これはいい戦いができるかもしれないという期待感も、あった。フランスやイタリアの選手には、そんなに劣っているようには思えなかった。

デ・ナシオンの戦いは、世界選手権よりもやさしいのがふつうだ。世界選手権では、世界のトップの20人弱が走る。しかしデ・ナシオンでは、ジュニアに参加している選手も同じ舞台で勝負する。ただし今年は、アメリカやチェコなど、例年トップカテゴリーで戦っている国がインターナショナルクラスにクラスを変更してきているので、参加国はスペイン・イギリス・日本・イタリア・フランスの5カ国。いずれも強豪ぞろいだから、これが少しセクションをむずかし目に設定させているという背景はあった。加えて、土の斜面にごろごろの岩と、ミスを誘発する設定がそこここにあった。デ・ナシオンにすれば、むずかしいというのが、藤波の感想だった。

photo日本は、2009年のデ・ナシオンを欠場している。なのでスタート順は、世界選手権クラスに参加の5カ国中、もっとも早いスタートとなる。日本の前には誰も走っていない。しかもインターナショナルクラスのライダーが走ったことによって、ラインを横切る形で轍もできている。非常に走りにくいコンディションだ。日本チームの4人のうち、トップバッターは藤波が務めることになっていた。藤波の今回の仕事は、後輩たちに多くの経験を積んでもらうことだ。そのうえで、日本チームの成績が少しでもよくなれば、それに越したことはない。まず藤波は、自分のライディングを日本勢に見てもらうべく、最初にトライをした。

しかし、ラインがまったく見えない。泥沼や川の水深が、どれほど深いのかもわからない。いつもなら、セクションを横断させてもらいながら深さを確認したりという小技も使うのだが、今回はまったくセクション内には立ち入りさせてもらえなかった。とても、クリーンを望めるコンディションではなかった。藤波は、第1セクションで2点、第2セクションで1点をとった。この減点は、自身の失敗だと藤波は語る。自分のトライを終えてから、みんなにセクション状況を報告したり、あるいは少しでも走りやすいラインを見つけようと、冒険を覚悟で一か八かのラインにつっこんでみたりもした。自分自身の勝負とはちがう戦いをしていたわけだが、それはトライの失敗の理由とはしたくないという藤波だった。第2セクションは、前日の下見のままトライしてしまったのも災いした。もう少しじっくり下見をすれば、少し簡単なラインはあったのだ。ここで野本が川に落ちて、水没してしまった。すぐに修復はできたのだが、序盤から日本チームはたいへんな戦いを強いられることになった。

第1セクション、日本の減点は、12点になった。第2セクションは11点。これは、藤波以外の3人が、みなそろって5点だったということを意味する。小川が連続5点となったのは、藤波には意外だった。小川の実力からすれば、ここを連続5点となることはあり得ない。マシンが自分のものではなく、しかもエンジンの調子がいま一歩いという大きなハンディはあったが、それでもここで5点になるようなライダーではないはずだ。

第1と第2で大量減点をとったことで、前の日に抱いた期待感は、がらがらと崩れていった。これはもう、順位よりも、できる精いっぱいの走りをし、日本のメンバーの実力を最大限に引き出していくしかない。藤波が4人のうちの先頭を走るというローテーションは、第5セクションをすぎたあたりから方針変更をしていった。藤波が見本を見せても、結局慣れないふたりは5点になってしまう。ならば、藤波がクリーンを出すために、少しでもラインをつけてくれたほうが、日本チームにとって有益だということになった。おりしも、第6セクションはなかなかむずかしいセクションだったから、この方針変更ももっともなものだった。

photoといっても、クリーンを出すだけが藤波の仕事ではないのは変わらない。ラインの指示、この岩をフロントを上げたままつっていけ、ここは飛んでいけ、など、事細かに指示をする。マインダーよろしく、セクションにつきっきりだ。斉藤が走っているときには、その走りを分析しながら、野本により効果的な攻略法を教える。逆のときもある。この日の藤波は、忙しかった。

しかし若い日本人たちは、ここではアドバイスは不要だろうというポイントで、足を出す。方向転換など、むずかしいところではないところでの足つき。緊張なのか場慣れしていないことからくるのか、とにかく、これはもったいない足つきだ。「深呼吸しろよ」。藤波はたびたび声を出した。のまれたまま進んでしまって、いいことはない。これは若いライダーだけでなく、藤波自身の経験でもあった。頭で理解していても、パニックになった現場ではなかなか思った通りのことができない。今でも藤波は、マインダーのジョセップにそういう指示をしてもらうことがある。ただし、今回の藤波の指示は、ジョセップが藤波にしているのとは比較にならない。うっとうしいくらいに声を出した、と藤波は苦笑する。試合が終わったあと、ジョセップには「疲れただろう」と労をねぎらわれた。ジョセップにも意外なほど、藤波はがんばったのだ。

実は試合前の藤波は、みんなに「サポートはしない」旨の宣言をしていた。藤波の本分はライダーであって、マインダーでもなければインストラクターでもないから、やはり職務をきちんと全うしたいと考えていたのだ。とはいえ、そう言いながらも内心は「それでも、始まってしまえばやってしまうだろうな」と考えてもいた。86年、たった3人のデ・ナシオンチームで、初参加の小川毅士をメンバーに迎えたときも、藤波は献身的なサポートをやってのけた。あれも、誰にお願いされるでもなく、自然にからだが動いてしまってやったことだ。今回も、始まってしまえば、動かずにはいられない。それが、藤波貴久だ。

だから藤波は、今日はたいへんな一日になるだろうということは覚悟していた。自分のライディングや成績のこと以上に、いつもやっていないことを、しかも一人二役も三役もしながらやらなければいけないのだから! そして試合が終わったとき、藤波の覚悟は、しかしそれでもまだ少し甘かった。思っていた以上に、この一日は重労働だった。

photo試合中、藤波は何度か天を仰ぐことがあった。チームの面々が、ことごとくいけない。彼らのその技術に対して絶望しているかのアクションだったが、実はそうではない。藤波が歯ぎしりをするのは、けっしていけないところではないところで、実力をまるで出せずに5点となってしまう、あるいはぽろぽろと足を出してしまう、その局面についてだった。もったいない。この日の日本チームとしてももったいない減点だし、それ以上にライダーとしてもったいない。「ハングリーさが足りない」と、ゴール後に藤波は語った。ヨーロッパのライダーは、ことハングリーという点では、今の日本の平均的ライダーの比ではない。

純粋に技術レベル的には、フランスやイタリアとはどっこいだったと、藤波は査定する。それが、倍に近いような減点をとってしまう。試合にのまれている、慎重になりすぎている、考えが足りない、などなど、理由はいろいろある。少なくとも、練習でいっしょに走れば、フランスやイタリアとは、必ず同じレベルで走れるメンバーだったはずだと、藤波は思う。だからこそ、もったいないと藤波は天を仰いだのだ。

もうひとつ、チームが一丸となる勢いも、日本チームには足りなかった。国民性といえばそれまでだが、フランスチームなどは、ひとりがトライすると、なんとかクリーンさせよう、なんとか出口まで走らせようと、まわりがものすごい勢いで声援を送る。声援というようなやさしいものでなく、怒号というほうが近い。そんな中で走るライダーは、適度な緊張感、闘争心をかき立てられ、実力以上のパワーを発揮したりもする。日本チームで叫んでいるのは藤波だけだった。まだまだ日本はチームとしても、世界の舞台にはいっていけないでいるようだ。

さて来年、日本チームはどうするのか、デ・ナシオンはどういうチームで走るのか、そして藤波貴久はどうするのか。ライダー藤波貴久としては、自信のモチベーションの問題もある。このチームでもう一回戦えというのは、正直苦しい。あまりに重労働だったから、来年もこれなら走りたくないというのが、正直な今の心境だ。しかしはたして来年どうなるのか、それは日本チームの動向も含め、まだわからない。まずは、日本にとって、デ・ナシオンとはなんなのか、みんなに問いかけたいと思う、藤波だった。

○藤波貴久のコメント

「終わってから、みんなから連絡をもらいました。ねぎらいだったり苦労をかけてすまなかったという詫びだったり。用事でスイスのFIM本部へ出かけたときには、FIMからMFJに伝えてほしいことはあるかとたずねられたりもしました。みんな、このメンバーではつらいよね、という評価で、ただドギー(ランプキン)は、参加することに意義がある、今回日本がどういうメンバーであっても、チームを作って参加できたのはよかった、と言ってましたね。ぼくは、若手を育てるについては、大賛成です。日本の若いライダーに、ぼくができることなら、いろんなことをやっていきたいと思っています。ただ、デ・ナシオンでこういうふうに参戦するのがいいのか、募金をしてくれた人の気持ちにかなうのか、そこには不安があります。こういう形なら、ぼくはマネージャーとかという立場で、若いライダーをもっとトータルで見ていくほうがいいのかもしれないと思ったりもします。今はそう思っています。でも来年の今ごろ、どう思っているかはわかりません。マネージャー役なんてやったことがないし、そういう役についたとなれば、やっぱり走りたくてうずうずする
かもしれないですから。いずれにしても、たいへんなデ・ナシオンでした」

Trial Des Nations World Championship 2008
Pos. Nat. T 1L T 2L T Tot. Cl.
1位 スペイン 0 4 0 10 0 14 118
トニー・ボウ(モンテッサ)・アルベルト・カベスタニー(シェルコ)・ジェロニ・ファハルド(ベータ)・アダム・ラガ(ガスガス)
2位 イギリス 0 27 0 25 0 52 89
マイケル・ブラウン(ベータ)・ジェイムス・ダビル(モンテッサ)・ドギー・ランプキン(ベータ)・アレックス・ウイグ(ベータ)
3位 イタリア 0 75 0 48 0 123 52
マテオ・グラッタローラ(シェルコ)・フランチェスコ・イオリタ(ベータ)・ファビオ・レンツィ(モンテッサ)・ダニエレ・マウリノ(ガスガス)
4位 フランス 0 76 0 71 0 147 45
ジェローム・ベシュン(ベータ)・ベノ・ダニコルト(ベータ)・アレッシャンドレ・フェラー(シェルコ)・ロリス・グビアン(ガスガス)
5位 日本 0 132 0 100 0 232 32
藤波貴久(モンテッサ)・小川毅士(ベータ)・野本佳章(ベータ)・斉藤晶夫(ホンダ)