2010年 SPEA FIM 世界選手権第8戦フランス

2010年7月11日/サン・ミッシェル・ド・モリエンヌ

一番スタートのハンディ克服で2位!

photo世界選手権フランス大会。ここから3週間は、連戦が続く。1週間後はサンマリノ、その1週間後にイタリア。今回のフランス大会は、イタリア国境からほど近く。トンネルを抜ければそのままイタリアにはいってしまう地理関係にある。

1995年に世界選手権を開催したことがあるという会場は、岩盤の斜面がメインで、ロケーションからして過酷な設定だった。

今回は、土曜日に女子世界選手権が開催された。女子の戦いが終わった後、日曜日の選手が下見に出かけていく。今年のルールでは、土曜日に下見をしたら、そこから先は下見のためにセクションに立ち入ることはできない。

しかし今回、土曜日の下見中に、激しい雨が降ってきた。激しい、などというものではない。地形が変わってしまうほどの大雨だった。ちょうど、藤波が第6セクションを下見していたときだった。これは、このままのセクション設定で、翌日の世界選手権が開催されるわけがないと、下見中の誰もが思った。ちょうど、いっしょに下見の現場にいた、FIMのセクション視察担当のデエゴ・ボシス(イタリア人で、元トップライダー)によると、第1セクションから13セクションまで、全部変更だということだったから、これは下見をしても意味がない。

結局、セクションはあらかた変更を受けることになった。となると、ライダーは下見なしでセクションにトライすることになってしまう。主催者は、特別処置として、1ラップ目に限って、セクション内に立ち入っての下見を許可した。これは藤波にとってはラッキーだった。

セクションに立ち入っての下見ができたからといって、藤波がトライをする以前には誰一人として走る者はないから、一番スタートのハンディが払拭されたわけではない。しかし、もてぎのときの一番スタートとは、ずいぶんちがうスタンスでトライアルに臨むことができた。それ以上に、今回の藤波は、一番スタートを切るにあたって、もてぎでの教訓をしっかり生かそうと努めていた。もてぎでは、一番スタートのプレッシャーが、藤波からリラックスした気持ちを奪っていた。今回は、とにかくナーバスにならず、イギリス大会のように楽しく走ることができるように気持ちを整えていった藤波だった。

セクションは、手直しをされたといっても、過酷を極めていた。60秒間で走るにはぎりぎりの(あるいは不可能な)長い設定、登って登って、さらに最後に下ってセクションアウトというような、危険な設定も少なからずあった。セクション設定にあたっては、課題も少なくないといっていい。しかし勝負がかかっているトップライダーにとっては、まずは目の前のセクションを攻略することが仕事になる。

7セクションまでは、藤波はまずはシンプルなセクションと考えていた。第1と第2は土の斜面、3から5までは、岩また岩。6は土の斜面、7はまた岩の斜面。藤波のスコアは、第4まではすべてクリーン。第5セクションで3点となり、6、7と5点になっている。これはしかし、かなり合格点に近いスコアだった。

photoラインが決まれば、いたずらにセクションで待機していても得るものはないから、さっさとトライする。むしろ、自分のラインをライバルに見られないですむから、なるべく早く次のセクションに向かっていきたい。そしてそれが、藤波のペースとなった。

難セクションは、ジュニアのクラスも同じだった。セクションで引っかかったライダーが脱出するのに苦戦したりと、ジュニアではジュニアの渋滞も始まっていた。ペースの早い藤波は、そんなジュニアのライダーの中に飛び込んでいった。中に、イギリス大会を欠場して、スタート順が遅い、ライア・サンツもいた。藤波は、いくつかのセクションで、ライアのすぐ後ろを走った。ライアと同じチームとなって7年目だが、いっしょにトライするのは、これが初めてだった。

第7セクションまでは、藤波は後ろに誰も従えず、まったく一人旅をしていた。後続はついてきたくても、ジュニアの渋滞に阻まれて、藤波の直後にはつけない。そうしているうちに、藤波との距離はどんどん開いていくという状態だった。

第7セクションは、時間がぎりぎりで、可能性が薄いセクションだった。結局、1ラップ目にここを抜け出せたのは、スコア上ではジェロニ・ファハルドだけだったことになっている。実はジェロニのトライの時、ストップウォッチ担当のオフィシャルのおばさんが手を滑らせて、計測ができていなかった。それでタイムは不問ということになって3点になっている。なので、実は全員がタイムオーバーで5点だった可能性は大いにあった。

そして第8セクション。8セクション以降は、13セクションまでダイナミックな岩盤の連続だ。落差、30mはあろうか。そんな設定が続く。ここへくると、藤波も走り方を悩むようになった。一人旅もここまで。ここでボウやラガなど、後続スタートの面々に追いつかれ、いつもの世界選手権の雰囲気となってきた。

いつものように、藤波は試合の状況をまったく知らない。チームも、藤波には点数を教えてくれない。それが、藤波の戦い方だと知っている。結果、6から8まで連続5点となったりしていたが、藤波は悪くない感触をもっていた。

大失敗だと藤波が語るのが、13セクションだった。ちょっとしたきっかけから、3mほどの岩に飛びつくポイントのあるセクションだった。ここで登ったり降りたり、マシンの位置を入れ替えたりとしているときに、藤波は無意識に近い状態でシフトチェンジをした。選んだのは3速、のはずだった。しかしそのとき、藤波はセクションのそこまでを、すでに3速で走ってきていた。セクションの残り時間を気にして、焦ってしまったという背景もあった。入ったのは、4速だった。飛びつきに向かって加速。しかし加速しない。ぼーっとゆるやかな加速をするエンジンに、藤波は瞬時に事態を把握した。しかしそのとき、すでに加速区間の半分くらいまできてしまっていた。少ない残り時間の中、ラインを変え、なんとか飛びつこうと努力するも、結局届かず。痛恨の5点となった。トップライダーでは、このセクションは2点までで抜けているケースがほとんどだから、藤波もギヤさえまちがえなければ、クリーンか、せめて1点で抜けられていたにちがいない。1ラップ目、トップのボウと藤波の点差は5点。その点差のほとんど
が、このミスによってできてしまっていたわけだ。

しかしこの日の藤波は、そんな失敗で崩れていくような軟弱な精神状態ではなかった。しっかり気持ちを立て直して、2ラップ目に入った。

2ラップ目に入ると、セクションに設置してあるスコアボードを見て、ライバルの1ラップ目の走りっぷりを想像することができる。ラガがけっこう5点を取っていること(3セクションから、7連続5点だった)などの情報を得て、自分が悪くない位置にいるのだろうという確認はできた藤波。しかしそれ以上の情報は、今はまだ必要ない。

2ラップ目は、いい調子でセクションを巡ることができていた。1ラップ目に難度が高かった6セクションと7セクションは、ほんの少し手直しがされていた。セクションに到着すると、オブザーバーが変更点を教えてくれる。それで、藤波は1ラップ目の5点5点から、1点1点でここを抜けている。簡単になったといっても、ボウですら3点2点と減点しているから、やっぱりむずかしいセクションだったことにはちがいない。

2ラップ目も、7セクションまでは一人旅だった。そしてまた、第8セクションでボウやファハルド、ラガと合流することになった。

10セクションで、藤波はパンクをした。それも、セクショントライ中だった。パンクしたままセクションを走り、しかし最後の登り斜面がぜんぜん上らなかった。足を出してマシンを漕ぎ出す。これで2点の減点だ。

パンク修理をするタイムロスもあり、藤波は11セクションをエスケープすることにした。ここは1ラップ目もエスケープしている難セクションだ。入り口に少し難度の高い岩があり、ここをなんとか抜けたとしても、出口に二段が最高にむずかしかった。どう考えても不可能だろうと、エスケープして先へ進んだのだった。

しかしボウは、ここをただひとり3点で抜け出ている。最後の二段には、実は迂回ラインがあった。ひとつめをクリアしてから、一度降りてきて二つ目に飛びかかるラインだ。藤波は、このラインを発見できずにエスケープしてしまったから、これもちょっと失敗ではあった。ただし結果的には、ここを3点以内に通過したのはボウだけで、ボウの迂回ラインを見てからトライした後続も、軒並み5点になっている。最後はいけたとしても、入り口で5点になってしまったということだ。

そして12セクションに到着した。ここは、1ラップには3点で抜けられた。藤波は3点で抜けた後、13セクションに移動したが、しかし12セクションと13セクションはすぐ隣だった。ライバルが12セクションをトライする様子は、藤波には把握ができていた。1点や2点が出ているのは、藤波も承知だ。

今度はクリーンを狙いたい。ところがアクシデントが起こった。岩盤の頂点でマシンがまくれた。なんとか1点で押さえようと足を出したところが、その足場ががらがらと崩れていった。バランスを崩してさらになんとかこらえようとしたが、今度はタイヤのある地面も崩れ始めた。なすすべなく、藤波はこらえながら、マシンと共に岩盤を滑落していくことになった。

このとき、藤波は地面に足を叩きつけるようにしてバランスをとらざるを得なかった。このアクシデントは、過去にときどきあった、藤波の足の負傷の状況とよく似ている。どこかを痛めたのは、すぐにわかった。

ブーツを脱いで、ドクターに患部を診てもらう。大会ドクターは応急処置をしてくれた者の、冷却スプレーを吹いてくれるくらいで、結局はブーツをちょっときつめにはくことでテーピングのかわりとして残りの試合を走ることになった。

残るセクションは3つ。13セクションはちょっと大きな飛び降りがあったから不安はあったが、14、15はクリーンができると考えていた。足は痛いが、ここまでくれば、今の点数を維持して、ゴールに飛び込むのが藤波の責務だ。点数も、いまさら聞いてもしかたがない。残るセクションはクリーンしていくしかないのだ。

13セクション、しかし飛びついたあとに、やはり不安があったか、足を1回ついた。残る2セクションは、クリーンで乗り切った。傷みもあったし、腫れてもきた。しかしとにかく走りきった。

表彰台でスコアボードを見ていると、ボウが帰ってきた。藤波は一番スタートだから、藤波が帰ってきた時点では、試合の動向はまったくわからない。わかるのは、1ラップ目は藤波が3位だったということだけだ。

ボウは喜んでいた。だから、ボウが勝ったのだということは藤波にもわかった。それでボウに、戦況はどうなっているのだと聞いてみた。ボウは、チームとやりとりもしていて、戦況ももう少し把握している。ボウが言うには、12セクションのアクシデントまでは、藤波は2位につけていたという。12セクションの5点でどうなったかわからないけど、2位になれてるんじゃないかな、というのが、ボウの試合観測だった。

photoそれで、藤波はパドックに帰った。成績の行方も気になるけれど、まず足をなんとかしたい。パドックへ帰って足を冷やしたりしていると、シレラ監督が帰ってきた。監督は、試合の動向をきっちり見極めて、パドックに帰ってきた。それで藤波は自分が2位になったのを知った。

結果論としては、いくつかの失敗を克服していれば、もっといい戦いができていたという見方もある。少なくとも、トップのボウをもっと脅かすことができたかもしれない。しかし、今回の藤波は、ともあれトップスタートだった。セクションをどんな時間配分で走ったらいいのかもわからず、滑り具合も走って見なければわからない状況が多かった。そういった状況を考えると、今回の2位は、かなり満足度が高い結果だったといっていい。

しかし今、まずは、翌週のサンマリノGPに向けて、足をなおすのが、藤波の急務だ。

次戦はイタリアの中にある小さな小さな国、サンマリノ。7月18日、バルダッセロナにて開催される。

○藤波貴久のコメント

「足は、試合の終わった今は痛くて腫れていますが、なにごともなく快方に向かってくれることを祈っています。これだけ腫れているので、まったく無傷ということはないと思うのですが。今回は、いくつか失敗もありましたが、それでもナーバスにならないように、できるだけリラックスして楽しいトライアルができるように気をつけました。その結果、2位を得ることができました。勝てはしませんでしたが、スタート順を考えたりすれば、それなりの合格点を与えられる結果だと思っています。ランキング2位になったみたいですが、それはまったく考えていません。イギリスの時点で10点差あったラガとの点差があっという間にこうなったわけですから、残る大会をきっちり走るだけです」

2010 SPEA FIM Trial WorldChampionship
日曜日
1位 トニー・ボウ レプソル・モンテッサ・Honda 42
2位 藤波貴久 レプソル・モンテッサ・Honda 52
3位 ジェロニ・ファハルド ベータ 56
4位 アルベルト・カベスタニー シェルコ 61
5位 ドギー・ランプキン ベータ 67
6位 アダム・ラガ ガスガス 73
7位 ジェイムス・ダビル ガスガス 94
8位 ロリス・グビアン ガスガス 97
世界選手権ランキング
1位 トニー・ボウ レプソル・モンテッサ・Honda 146
2位 藤波貴久 レプソル・モンテッサ・Honda 124
3位 アダム・ラガ ガスガス 118
4位 アルベルト・カベスタニー シェルコ 105
5位 ジェロニ・ファハルド ベータ 100
6位 ジェイムス・ダビル ガスガス 79
7位 ドギー・ランプキン ベータ 68
8位 マイケル・ブラウン シェルコ 48