2007年 トライアル・デ・ナシオン

2007年9月30日

日本チーム2位

photo藤波貴久にとって、どうにも巡り合わせが悪かった2007年。世界選手権シリーズの締めくくりとなる、国別対抗のトライアル・デ・ナシオンでは、悔いのない試合っぷりを見せたいところ。日本チームは、過去に2位入賞を果たしたことがあったが、以後ずっと3位をキープ。昨年はチームメンバーが3人となってしまい、定位置となってしまっている3位の座すらも危ぶまれたが、ぎりぎりで表彰台を獲得していた。

今年のメンバーは藤波以下、全日本選手権のランキング順に小川友幸、黒山健一、野崎史高の4名。2年ぶりに、全力で戦えるチームとなった。

今年のトライアル・デ・ナシオン会場はイギリスのマン島。ヨーロッパ大陸からはフェリーでイギリス本島に渡り、さらにフェリーでマン島に渡るという長旅となる。藤波らトップライダーは飛行機移動で現地のホテル泊。日本の3名の選手も同様に飛行機移動でホテル泊だが、ヨーロッパにファクトリーがある藤波らとはちがって、マシンも作業スペースもゼロから確保しなければいけない。日本チームのハンディは、否めない。

小川友幸のマシンは、日本から運んだものではなく、藤波の2006年型ワークスマシンだ。2007年のインドア選手権までは、藤波もこのマシンに乗っていた。ただしワークスマシンだからよいのかといえば、そのセッティングはフジガススペシャルであって、小川の好みとはまったくちがう。特にサスペンションが大ちがいだ。小川はセッティングを出すために費やす時間と、それでもなお理想のセッティングを出すにはいたらないという観測から、マシンを受け取ってハンドルとステップまわりだけ自分のものに交換すると、藤波仕様のまま練習に入った。藤波仕様に慣れて、藤波仕様で試合にのぞむためだ。

しかし小川はまだよかった。水曜日に現地入りした黒山と野崎は、マシンが届かず、木曜日はマン島観光しかすることがなかった。マシンが到着したのは金曜日。それから持ってきたパーツを組み込む作業が始まった。パーツといっても、シリンダまわりなどを組み込むのは、4ストロークマシンだけに簡単ではない。作業はたっぷり夕方までかかり、結局金曜日の練習はできなかった。土曜日に下見かたがたちょっとだけセッティングと練習を済ませ、未知のマシンでいきなりぶっつけ本番ということになった黒山と野崎だった。

せめてもの幸運は、くじ引きで決まったスタート順が、イギリスよりもスペインよりもあと、一番最後だったことだ。これで、ライバルの動向を見ながら試合を進められることになった。といっても、いつもにも増して、今回はスタッフが少ない。トライアル委員長西英樹氏と選手会代表小谷徹氏が情報収集に努めるが、なかなか思うように試合展開はつかめない。

セクションは、かなり簡単な部類だった。スペインにいわせると、異常に簡単なのでより難易度を高めるべきだという。セクションが簡単だと、誰でも犯すちょっとしたミスが致命傷となって、勝つべき者が負けることがある。金曜日、女子世界選手権でライア・サンツがそれで敗北を喫した。オールクリーン当然のセクション群で、たったひとつ、フロントタイヤがテープから飛び出しての5点が、ライアから勝利を奪い、さらにチャンピオンの座まで奪っていった。スペインは、それが男子TDNの現場で再び起こることを懸念していた。

しかしもちろん、TDNは勝利チームのためだけにあるものではない。リザルトを見れば明らかなように、下位のチームはこのセクション設定でも七転八倒である。スペインの抗議は、当然受け付けられない。藤波としても、セクションが簡単なのはいただけないが、しかしTDNという舞台を考えればこの設定もしかたない。

1ラップ目、先を走るスペインとイギリスの点数を把握しながら、日本はスペインを射程距離に置きながらトライを進めていた。第4セクションで1点、第6セクションで1点と減点はあったが、オールクリーンのスペインも、まだ手の届かぬ存在ではない。TDNのルールは、ひとつのセクションを4人が走り、成績のよかった3人の減点数を成績に反映させる。3人がクリーンしたなら、最後の一人はトライしてもしなくても、減点数は変わらない。ただし、減点数が同じだった場合は4人のトータルのクリーン数が比較されるから、その時のことを考えれば、クリーンを稼いでおいたほうがいい。これに時間配分が加わるから、TDNの闘いはなかなかむずかしい。しかもTDNは、いつもの世界選手権に比べてセクション数が多い。18セクションを2ラップ。4人が走って時間内にゴールしなければいけない。よその国は、日ごろ個人チームとして別々に闘っている関係者が、手分けしてこれらの作業に従ずるから、ライダーも負担が少ない。日本は関係者も最小限、応援団は皆無。マインダーさえ人手
不足。参戦環境は、圧倒的に不利だ。

日本チームが減点を食いはじめたのは、1ラップ目11セクションからだった。ここでふたりが5点をとってチーム減点に5点が加えられた。この時点でイギリスとは1点差なのだが、藤波はスペインにつけられた8点差のことを考えていた。まだ可能性はあると信じていたのだ。

ところがその後、日本チームはそこここで減点をとってしまった。スペインはあいかわらずチームとしてはオールクリーンを続けているので、こちらが減点をしている以上、逆転の目はない。

最終に近い17セクションは、インドアスタイルの設定だった。スペインはもちろん全員クリーン、イギリスもクリーンした。ここで日本は野崎と小川が5点。スコアに5点を加えてしまった。この減点が響いて、1ラップ目の減点は日本が19点。16点のイギリスにリードを許すかたちとなった。

小川が5点となった17セクションは、日本チームの面々にとってはクリーンセクション。しかし小川が乗っているのは、藤波セッティングのマシンだった。障害にぶちあたる瞬間、必要とされるアクションが、小川号と藤波号とでは大きくちがう。小川は、その瞬間、藤波的乗り方ではなく、小川特有の乗り方をしてしまった。そして、失敗した。自分のマシンだったら、問題なくクリーンしていたところだった。

2ラップ目、全体に時間が険しくなってきた。3人がクリーンすれば、4人目は走らないと決めて、時間の節約を計っていたのだが、黒山号があまりご機嫌よくなく、水のセクションでエンジンが止まったりしている。となると、4人目が走らなければいけない。なかなか試合進行は思ったように先へ進めない。一時はイギリスを追い抜いて先へ出ようとしたが、減点をとりはじめると、セクションにいる時間が長くなる。それでまたイギリスに先行を許すことになった。

実はイギリスには、最初から先を走らせるというのが、作戦でもあった。2位争いのライバルはイギリス。そして開催地のマン島はイギリスだから、日本が先を走ってしまうと、オブザーバーがどんな温情を発揮するか心配である。オブザーバーがフェアな採点をしているかチェックするためにも、イギリスの前に出ないでいたのだが、幸いにも、マン島のオブザーバーは公正な採点をしていた。さらに試合が進むにつれて時間が少なくなって、それどころではなくなってきた。イギリスとは、もはや少しでも早くゴールしたい競争相手となってきた。

1ラップ目に痛恨の5点となった17セクション。ここに到着したとき、日本チームの残り時間は3分ほどになっていた。ひとり1分とすると、2セクションを4人が走るとそれだけで8分になる。絶対的に時間が足りない。そこで藤波はかけに出た。1ラップ目に5点となった野崎と小川だが、彼らも二度続けて5点となることはないだろう、ここは彼らにまかせて、自分は一足先に18セクションをトライして、残りの二人のトライを待ってゴールに飛び込もう。もし17セクションで3人のうちだれかが5点をとったりしたら、そこで大量減点を追加することになる。しかし3人のトライを見届けてから最終セクションに移動したのでは、今度はタイムオーバー減点を覚悟しなければいけない。まさにかけだった。

結果、最後の2セクションはともにクリーンとなった。この点は、かけは成功した。しかし日本チームにはタイムオーバーもあった。イギリスの点数はすでに把握しきれていない。スペインとは大差がついたのは明らかだが、2位が日本なのかイギリスなのか、それは誰にもわからなかった。

藤波は、日本チームは後半調子を落としたと考えていた。スコアを見れば、2ラップ目は1ラップ目より1点だけ好成績なのだが、ライダーの実感としては2ラップ目の方が1ラップ目よりはるかにできが悪かったらしい。だから1ラップ目にイギリスに負けていた日本が、2ラップ目に逆転できるとは、なかなか考えにくかった。

photoゴールして、結果の発表を待つ。日本チームは、藤波だけでなく、4人ともに敗北を覚悟していて、気落ちしながら発表を待っていた。すると、6点差で日本が2位という発表があった。2ラップ目に、イギリスは日本より6点も減点をとっていて、1ラップ目のリードをすっかり帳消しにしてしまっていたのだった。イギリスの鬼門は、日本が1ラップ目に痛恨の減点をとった17セクション。イギリスは2ラップ目にここで、5点をとって日本との戦いに終止符を打ったのだった。

2000年スペイン大会以来の2位入賞。2001年に欠場したのがつまづきとなって、以来5年連続3位に甘んじていた日本が、再び世界の頂点を目指して雄叫びをあげた記念日となった。イギリスでイギリスチームを破ったというのも、大きな収穫だった。

試合が終わって、2位入賞の喜びもつかの間、黒山と野崎は使用したマシンから自分のパーツを外す作業に追われた。日本チームの闘いは、試合が終わっても、まだ続いている。

○藤波貴久のコメント

「ぼく個人的にはいい感じで走れていました。終わってからスペインチームやドギーと点数を数えあったんですが、トニー(ボウ)が6点、アダム(ラガ)が8点、カベスタニーが7点だったかな。ドギー(ランプキン)は9点だったといってました。ぼくは、2ラップ目の17セクションをエスケープしてますけど、それをクリーンしたとして5点。点数的にも、悪くなかったと思います。2ラップ目、追い上げなきゃいけない、時間もない、そんな中で5点をとるメンバーがいてという状況が続いて、ちょっといらいらしたりもしましたけど、終わって、結果が発表されたときには4人とも大喜びでした。ちょっと風邪をひいて咽が痛かったのに、試合中ずっと仲間を応援して声を上げていたので、今は声ががらがらです」

2007 Trial des Nations Great Britain
Pos. Nat.
T
1L
T
2L
T
Tot.
Cl.
1位 スペイン
0
0
0
7
0
7
120
  トニー・ボウ(モンテッサ)・アダム・ラガ(ガスガス)・アルベルト・カベスタニー(シェルコ)・ジェロニ・ファハルド(ベータ)
2位 日本
0
19
0
18
2
39
98
  藤波貴久(モンテッサ)・小川友幸(モンテッサ)・黒山健一(ヤマハ)・野崎史高(ヤマハ)
3位 イギリス
0
16
0
24
5
45
99
  ドギー・ランプキン(モンテッサ)・ジェイムス・ダビル(モンテッサ)・グラハム・ジャービス(シェルコ)・マイケル・ブラウン(ベータ)
4位 フランス
0
71
0
56
0
127
60
  ジェローム・ベシュン(ベータ)・クリストフ・ブルオン(シェルコ)・ブルーノ・カモッジ(ガスガス)・ニコラス・ゴンタール(ガスガス)
5位 イタリア
0
68
0
61
2
131
50
  デエゴ・ボシス(モンテッサ)・ファビオ・レンツィ(モンテッサ)・ダニエレ・マウリノ(ベータ)・ミケレー・オリツィオ(スコルパ)
6位 アメリカ
1
148
0
125
0
274
25
7位 ドイツ
0
164
0
161
0
325
14
8位 スウェーデン
0
181
0
164
4
349
10
9位 アイルランド
0
216
0
193
0
409
5