2007年 世界選手権第4戦フランスGP

2007年5月27日/観客:8,000人

本来の輝き発揮できず、ちぐはぐな4位

photo母国日本でのグランプリを1週間後に控えて、開幕戦の出遅れを挽回しておきたい藤波は、必勝を期してフランスへやってきた。勝利の感覚も取り戻さなければいけないし、開幕3連勝をして調子に乗りきっているチームメイトにして最大のライバルであるトニー・ボウの勢いを止めておく必要もあった。ボウだけでなく、アダム・ラガにもランキングポイントで少し離されてきたのも今のうちに対処しておかなければいけない。

今年の世界選手権、このフランス大会から日本GPに向けては、日程的にタイトだ。フランスGPの翌週に日本で試合があり、しかもその日本の大会は2日制。いつもより1日早く会場入りする必要がある。藤波のワークスマシンは、今現在1台しかない。この1台をフランスGPで使って、その後すぐさま日本に送るという主題もあるが、万が一にも到着が遅れた場合は、乗るべきマシンがなくなってしまう。それでフランス大会を、2006年型のマシンで戦うことになった。2006年型と2007年型は細かい改良点は多岐に渡るが、全体的には大きな変化はない。乗り換えた最初こそ違和感があるが、すぐに慣れてしまうということだ。旧型マシンとはいえ、そのポテンシャルは一級品である。

2006年型マシンは、2007年からチーム入りしたボウも持っている。アウトドアに焦点を絞っている開発スケジュールでは、インドア世界選手権のシーズンにはマシンが間に合わない。移籍したばかりのボウは、2006年型マシンでインドア世界選手権を戦い、そしてチャンピオンになっている。

2006年型マシンには、今年はけっこう乗り込む機会があった。インドアはこのマシンで戦ったし、メインマシンをグアテマラに送ったあとは、2006年型マシンで練習をおこなった。乗り換えもスムーズ、ライダーとのコンビネーションも、悪くないのを確認している。

ところがフランスで、予期せぬ事態が起こった。2007年型と同じく高度な性能を発揮してくれるはずの2006年型マシンだったが、そのセッティングをどうしても詰め切れず、満足とはほど遠いコンディションでトライアルをしなければいけなくなったのだった。

これはもちろんマシンの本質的問題ではない。ボウもドギー・ランプキンも、大きな問題なく2006年型で走っている。藤波の望む仕様に限って、うまく折り合いがつかなかったということだ。会場の標高が800メートルちょっとと、少し高いことも影響しているかもしれなかった。

photo試合が始まるまで、サスを変えたりインジェクションのマッピングを変更したり、いろんなことにトライして苦しんだが、マシンはとうとう藤波の仕様にならなかった。マシンを自分の仕様にするのもライダーの仕事だから、マシンが仕上がらなかったからというのは結局言い訳にしかならないのだが、こんなはずではないという思いが、ずっと藤波を支配していた。

セクションは、なかなかハードな設定で、2/3が川のセクション、1/3がドライの設定だった。藤波は、レース序盤からちぐはぐなトライアルを繰り返す。むずかしいところをクリーンしてみたかと思えば、誰でもクリーンしているような簡単なところで5点をとったりする。思ったより、バイクが滑ってしまったり、まったくマシンが意中にならない。好調なボウは、いいペースでセクションをこなしていく。藤波は、最悪の気分でセクションを回った。

ところが1ラップ目を終えて、藤波は2位につけていた。ボウにこそダブルスコアで離されているが、カベスタニーに同点クリーン差、ラガとジェイムス・ダビルに2点差、ランプキンに3点差。この状況には、藤波自身がびっくりした。だからといって、このまま2位で逃げ切る自信も持てない。いつもとちがって、今日は自分のマシンがどんなふうな挙動を示すのか、悩みながらセクションをこなしているのだから。

さらに不運もあった。1ラップ目の12セクションをでたところで、マシンがパンクしているのが発覚した。2ラップ目後半になって、持ち時間はいくらも残っていない。パンクしたタイヤをホイールごと交換して、それでもわずかな修理時間の間にタイムオーバーは確実に迫っていた。それで13セクションと14セクションはパスして先を急ぐことになった。15セクションはインドア風セクションだったが、比較的クリーンがでそうな設定だ。それで15セクションにトライしたところ、持ち時間を1分ちょっとオーバーしてしまった。タイムオーバー減点1点がついてしまっていた(ヨーロッパでは、たとえば1分10秒のタイムオーバーは減点1点。日本では、この場合は2点の減点となる)。

1ラップが終わったところで、いったんパドックに戻った藤波は思いきってセッティングを変更してみた。気分を変えるという点でも、こういう決断は流れをよい方向に変化させることが多い。しかしそれでも、劇的な変化はみられなかった。1ラップ目に5点となったところをクリーン下かと思えば、1ラップ目にクリーンしたところで5点になったり。ライバルは2ラップ目にかけて減点を減らしてくるから、藤波の戦況は厳しかった。

藤波がこのマシンにのれるようになったのは、ようやく2ラップ目の後半。試合はもう終わろうとしていた。ランプキンに1点差で、開幕戦に続いて表彰台を逃す4位となった。セクションは滑るところも多く、藤波のきらいなパターンではなかったから、今回の結果はくやしいところだ。

試合後、藤波はすぐに日本行きの飛行機に乗り、日本GPのある極東の国に旅立った。日本は藤波の母国であるが、日程的にタイトな世界選手権のシーズン中は、自分の家に戻ることもできず、そういう意味では、他のヨーロッパ勢と比べて、日本人である特殊性はほとんどないのだった。

○藤波貴久のコメント

「最悪です。ずっと、こんなんじゃないはずだぞと思いながら試合を戦っていました。いろんな対策をしてもすべてダメで、もう、どうしたらいいの!という感じでした。トニーの好調は、もうまぐれでもなんでもないですね。絶好調です。このままではダメなので、次はがつんといきます。日本GPは、自然と成績がよく出る大会ですから、流れを変えるという点でも、シリーズのこの位置でもてぎが来てくれたということはラッキーだったと思います。多少のプレッシャーはありますが、ガツンといきますよ、ガツンと」

Trial WorldChampionship 2007
日曜日/Sunday
1位 トニー・ボウ レプソル・モンテッサ・HRC 16+21+1 38 18
2位 アダム・ラガ ガスガス 35+19+1 55 13
3位 ドギー・ランプキン レプソル・モンテッサ・HRC 36+27+1 64 12
4位 藤波貴久 レプソル・モンテッサ・HRC 33+31+1 65 12
5位 アルベルト・カベスタニー シェルコ 33+39+4 76 9
6位 ジェロニ・ファハルド ベータ 45+44+4 93 8
7位 ジェームス・ダビル モンテッサ 35+55+4 94 7
8位 マルク・フレイシャ
スコルパ 49+51+0 100 5
世界選手権ランキング
1位 トニー・ボウ モンテッサ 80
2位 アダム・ラガ ガスガス 66
3位 藤波 貴久 モンテッサ 58
4位 ドギー・ランプキン モンテッサ 56
5位 アルベルト・カベスタニー シェルコ 42
6位 ジェイムス・ダビル モンテッサ 36